私と信仰のこと。(1)

先日、隣人の誘いで、とある伝統宗教の集いに招かれて行きました。
そして、中でも篤い信仰を持つ方のお話を聞き、問われ、結果、私は私の信仰について改めて思いをめぐらせることになりました。

その篤い信仰を持つ方からは、お会いした瞬間から、「あぁ、きっとこのような苦労をなさって、このような経緯を経て、信仰を深められたのだろうなぁ。」ということが伝わってきました。 そして、お話を伺うと、その通りの物語がありました。

彼女は信仰によって奇跡を体験し救われたのですが、それからご利益信心として傾倒していったというわけでもなく、「神様が(不満や怒りばかりの)私の心を変えてくれた」とおっしゃるように、心に光をもたらしてくれるものとして、その信仰を深めていることがよく伝わるお話でした。

彼女は、「死後の世界について考えたことはあるか?」と私に問いました。
私は、「死んだらその時に分かると思っています。」と答えました。
彼女は、死後の世界について今から学ぶことの重要性を説きました。

経典の一節をいくつか読み、それについてどう理解したかを問われ、 私は感じたことを話しました。
隣人は、「(経典を)僕は人生のマニュアルのように思っている。」ということを言っており、そうであることがよく伝わる集いの語らいでした。

私の信仰は何なのだろうと考えると、それはボンヤリとしていて、はっきりとは分かりません。 信じているルールのようなものはあります。それは、「どのようなルール・世界観であれ、その人が強く思っていると、その人の世界はその通りになる。」というものです。

結果が「その通りになる」ということでもあるし、「その通りになったとその人には見える。」ということでもあると思っています。人から影響を受ける(もしくは人は影響を与え合う)と思っている人には、人からの影響が作用するので、強く信じている個人や、弱く信じている集団は影響力を持つと言えるのではないかと思います。人からの影響を信じない人は、人からの影響を受けにくいと感じます。

私は今までの経験からそのように感じていますが、裏を返せば、それも、「私がそう信じているから」と言える。ということであり、実際そのように思っていたりします。

そんな私ですが、「自分の信仰と神について」を探ってみると、ボンヤリしているなりに、何かしらあるのではないかという気がしてきたので、現段階の私の信仰についてを少しまとめて書いてみたいと思います。

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